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制度移行後の現場へ


JTBのビザ課長時代の
1988年12月15日に、
アメリカビザ免除制度
(Visa Waiver Program=VWP)
が開始され、日本が世界で
二番目の指定国になりました。
90日以内の観光、短期商用の場合、
ビザを免除する制度です。

制度開始から数ヶ月後、
アメリカ大使館から、
すぐに会いたいと
呼び出しがありました。
何事かと大使館に向かうと、
総領事の部屋で、総領事と領事が
おっかない顔をして座っています。

聞けば、福岡総領事館に、
ビザ免除制度の対象である
観光での渡航者が、
「JTBからビザ申請をするように」
と勧める書類を持って来た
というのです。
JTBのビザ課長は私でしたから、
その真偽を問われたのでした。

制度開始後、アメリカの移民局は
初期混乱の状態でした。
ビザ免除でアメリカに入国し、
カナダに入った
JTBの100人の観光ツアーが、
帰路、アメリカの
入国審査事務所に
ストップをかけられて
アメリカに戻れず、
立ち往生をしたケースも
ありました。
そこで、JTBの
ある支店の営業担当が、

「アメリカ経由でカナダに行き
 再びアメリカに戻る場合は、
 ビザを取るように」

と、お客様に
勧めたのでしょう。

私は、その件に関しては
ノータッチでしたので、

「初めて見た書類です。
 JTB東京ビザセンターが
 流した書類ではありません!」

というと、
おっかなかった総領事たちの顔が
一気に安堵の表情に変わりました。

そこで私は、アメリカ各地の
入国審査事務所を歴訪し、
新制度の定着ぶりを
旅行業者の眼で調査したいと
提案したところ、
アメリカ大使館がすぐに
各地の移民局長と
アポイントを取ってくれました。

訪れたのは、移民局の
入国管理事務所で、
シアトルとカナダの国境、
ナイアガラ、
ハワイ。
いずれも、この制度を利用する
日本人客が多い土地です。
ビザ免除を受けた日本人客が、
それぞれの場所で
どう扱われているのか、
つぶさに観察する機会を得たのです。

入国審査事務所の中に入り、
審査官がコーヒーを飲んでいる
くつろいだ様子も垣間みました。
審査が裏でどのように行われているか、
肌で感じることができたのは
大きな収穫でした。

アメリカとカナダの国境に位置する
入国審査事務所でのことです。
入国審査に関して、
審査官に質問をしたところ、
全くとんちんかんな答えが
返ってきました。

私がその場で、
「それは違うのでは」
と意見を言うと、その審査官は
その場で移民局の本部に
電話で確認をし、
「私が間違っていました」
と、間違いを認めてくれました。

帰国後、アメリカ大使館に
諸々を報告すると、
現場の状態に驚いていました。

この、アメリカでの入国審査事務所や
主要空港の移民局長との話し合いから
得た知識と経験は、JTBの支店や
他の旅行会社に
JATA(=Japan Association of Travel Agents)
を経由してお知らせしました。
そして、私自身のその後の仕事にも
非常に役立つものになったのです。


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私の肩書き


私、渡部澄彦は、
JGIを起業してから、
何十年も
「アメリカビザコンサルタント」
と名乗って来ました。

しかし先日、
とあるコンサルタントの
講演会を聞きに行って、
ふと気付いたのです。

コンサルタントとは、
「企業の経営などについて
 相談を受け、
 診断/助言/指導を行うことを
 職業としている専門家」
       (『大辞泉』より)
です。

でも、私の仕事は、
Eビザが取れずに
四苦八苦されている企業に代わって
申請・取得すること。
言うなれば、

アメリカビザに困った時
助けてくれる
スーパーマン

なのです。

23年間で1万人の
Eビザ取得に成功。
その勝率は実に99.7%。
取得確率には
絶対の自信があります。

アメリカビザの
申請書類を
緻密に作成し、
ご依頼者に代わって
ビザを取得することを
天職としています。

これからもJGIは
Eビザ取得の
エキスパートとして、
皆様のお役に立てるよう
社員一同心を合わせて
日々精進して参ります。



社名に込めた思い


JTBビザ課長時代の
1989年11月9日。
奇しくも私の五十歳の誕生日。
ベルリンの壁が破れ、
東ベルリンの人の
国外旅行が自由化されました。
束縛から解き放たれた
東ベルリンの人達は
怒濤のように
ベルリンの壁を
破壊し始めました。

当時勤めていた
JTBビザセンターには、
東ヨーロッパ諸国への
出入国に関する
問い合わせ電話が
一日に600件も
殺到していました。

「出張でロンドンに行くので、
帰りにハンガリーを
一目見たいが可能だろうか」、

「西側諸国から東ベルリンに
 陸路で入りたいのだが、
 ビザ無しでも入国できるのだろうか」、

「ユーゴスラヴィアから
ブルガリアに夜汽車で行きたい。
 入国管理はどこで、どのように
 行われているのか」

等々々々。

日本には
各国の大使館があるものの、
当時、出入国に関する
正しい情報は大使館では
全く得られませんでした。
日本に居ては埒が明かなかったため、
単身、社命で東ヨーロッパに飛び、

ユーゴスラビア、
ブルガリア、
ルーマニア、
ハンガリー、
ポーランド、
チェコスロバキア(当時)、
東ドイツ(当時)、
東ベルリン(当時)、
西ベルリン(当時)など、
各国別の出入国の
実態を調査しました。

東ヨーロッパの調査が終わって帰路、
ロンドンに立寄ると、
分厚いファイナンシャルタイムズが
飛ぶように売れており、
全ページが東ヨーロッパの記事で
埋め尽くされていました。

世界の関心の中心は
ベルリンの壁崩壊と
その後世界がどのように
変わっていくかにあり、
と強く感じました。

ロンドンからニューヨークに回り、
日本への帰路、機内のスクリーンで
先週のニュースが流れました。
ベルリンの壁崩壊の
ニュースに違いないと
ワクワクしながら待っていると、

「ゴールデンウィーク、
 日本アルプスの
 人出は史上最高でした」

「沖縄に珍しい花が咲きました」

という、日本のテレビ局が制作した
ニュースが流れたのです。
これにはほんとうにガッカリしました。
そこに、私がロンドンで感じた
東ヨーロッパの今後と世界を心配する
切迫感は全くありませんでした。

「日本は世界の中心から
 あまりにもずれているのでは
 ないだろうか」

との強い危機感が、
その時、私の中に生まれたのです。
そして、

「もっと世界のことを知らなければ
 日本は大変なことになる。
 そのために何か役に立つことをしたい」

と考え、思いついたのが、
それまでの経験を生かし、
アメリカビザの代行会社を
起業することでした。

アメリカ限定にしたのは、
理由があります。

アメリカは、
色々な国の人種、文化が混在している、
世界の縮図のような国。
アメリカを深く研究することによって、
世界とどうつき合っていくかを
学ぶことができる。
そう考えたからです。

日本人に駐在員として
アメリカを体験して貰いたい。
それが、日本を世界に開く
突破口になれば…

そんな思いを込め、
元JTBの上司だった
矢吹哲郎氏と共同して
アメリカ就労ビザの
代行会社を起こした時、
英文社名を「Japan Globalization, Inc.」
としました。

これからも、日本が国際社会の中で
強く生きていけるよう、
その一助となるべく、
微力ながら尽力していく所存です。

私とビザとの運命の出会い

本ブログでは、
私、社長の渡部澄彦が、
弊社を二十三年間
経営する中で生まれた、
数々のエピソードを
お伝えしていこう
と思います。


私とビザとの出会い…。
それは、
弊社の起業前まで
勤務していた
JTB時代に遡ります。

旅行好きだった私は、
東京外国語大学を卒業後、
JTBに入社。
様々な部署を経験した後、
二十三年後の1987年。
私は、
JTB東京ビザセンターの
ビザ課長として
働くことになりました。

当時ビザセンターは
決してメジャーな部署ではなく、
むしろ落ちぶれた印象。
冬の冷たい雨が
ショボショボ降る中、
日本橋にある
JTB東京ビザセンターに
初出勤しました。

エレベーターで
6階に上がり、
赤錆びの浮いた
ドアを開けて入ると…

書類作成の
女性スタッフ200人が、
一斉にドワッと
新任課長の
私の方を見たのです。

皆、いい目をしながら働いている。
オヤ、案外いいところに
来たかもしれないぞ、
と、直感的に思いました。

着任早々で
ビザ業務の知識は皆無。
でも目の前で鳴る電話には
出なければなりません。

早速、支店の担当者からの
質問電話でした。


「ビザ用の写真のサインは、

写真のおもて?うら?」


…分からないので、

周囲のスタッフに聞いて


「表でございます」と答える。


すると


「サインは日本語?英語?」


…分からないので、

再びスタッフに聞く。


「パスポートと同じでございます」。


これが、
私のヒヤヒヤの
ビザ業務デビューでした。

でも、その時、思ったのです。
ビザの業務には、
ウソが全くない。
ゴマスリもない。
正しい情報を、
正しく大使館に伝えることで、
ビザを取る仕事だと。

私は、
この仕事の虜になり、
猛勉強を始めました。
電話が来たらすぐ出て、
そのたびに知識を
増やしていきましたから、

三か月後には、
センターのスタッフから

「難しくて課長の質問は

私たちには答えられません!」

というぐらいに成長していたのです。



つづく。


プロフィール

渡部澄彦

Author:渡部澄彦
初めまして。
JGIアメリカ
ビザセンター
顧問の
渡部澄彦
(ワタナベスミヒコ)
です。
JGIアメリカ
ビザセンターの
ブログは
アメリカビザの
知って得する
情報が満載!
御社の
アメリカビザ
申請取得に
どうぞ
お役立て下さい

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